いくつかの人間模様が描かれたオムニバス形式の映画なのだが、なかでも宮本信子の役どころが何とも言えず格好良かった。孫と接する場面がほとんどで、孫が何かしてくれというとすぐに「ダメ」という。なんだか難しそうな人だなという印象だったが、後半やかましい主婦連をこてんぱんに打ちのめす姿に、胸をすく思いをした人も多かったのではないだろうか。
原作者の有川 浩(ありかわ ひろ)は、こういった人物が今の世の中には必要なのだと伝えたかったのだろう。大いに賛成だ。
ところで、この今津線、私が現役だった頃は「今津線」というだけあって、宝塚から今津まで一本でつながった路線だった。正確にいうと、私が大学生だった1984年に、今のように西宮北口で分断されたのだ。それまでの今津線は神戸線と交差する日本でも珍しい「ダイヤモンド交差」と呼ばれた形式だった。
おそらく、営業効率の悪い西宮北口から今津の間も同じ車両数で走らせること、神戸線や西宮北口以北の輸送量とのバランスを考えて阪急電鉄が決断した結果だったのだろう。
クラブのコンパの二次会がよく開催され、一次会ですでにつぶれている私は毎回正体不明。もろきゅう一個で、コンパ費用をとられたなぁという、想い出の西宮北口、ここには阪急ブレーブス(オリックス・バファローズの前身)の本拠地、西宮球場もあった。厄除けで有名、神戸女学院のある門戸厄神、我らが関学のある甲東園、実はこちらからの方がラクに学校に通える仁川。阪神競馬場もこの駅だ。映画でも描かれているように、下町っぽい風情の残る小林(おばやし)、なんだかハイソな香りのする逆瀬川。宝塚南口は宝塚大劇場や、今はもうなくなってしまったファミリーランドのお膝元。そして終点宝塚まで、沿線には緑が多く、短い営業距離にもかかわらず、なんだかホッとする路線だ。
映画館の席の周りにも、「懐かしかった」なんて声も聞こえ、「今津線OB」も数多く観に来ていたはず。こうやって昔話も交えた話を延々できるのは、いかに大学時代が愉快で楽しいものだったかによって決まるような気がする。それだけで、後に続く人生が有意義になるような気がする。若者よ、学生時代を楽しんでいるか?!