筆者は、単にじもピーだから復活した「ひらパーの奇跡」を採り上げたわけではない。ひらパーの策略を通じて、リアルの店舗集客にも応用できるものがあると感じたからだ。
集客でお悩みの店舗経営者の方々は、彼らの放った集客策のキモを感じてもらえれば幸いだ。
ひらかたパークは、京都府に隣接する大阪の端、枚方市にあるファミリー向けの遊園地。もともと、ひらかたパークは1910年(明治43年)「香里遊園地」として生まれ、京阪電車・香里園駅にあった。京阪沿線の人は、「園」があるわけでもないのに、なぜ香里園が「園」なのかと疑問に感じていた人も多いと思うが、こういった理由があったわけだ。
その後、第三回菊人形展の開催によって、現在の地に原形を求めることとななるのであり、1912年(大正元年)の開園は、同じ土地で営業を続ける遊園地のなかでは、日本最古のものだ。
年間来場者数はUSJに次いで大阪府下第2位。2014年度の来園数は100万人を超えており、USJやディズニーランドなどの大型のテーマパークの人気に圧倒される地方の遊園地のなかにおいて、飛び抜けた人気、知名度、集客力を誇っている。
ひらパーの状況
いまや全国的に知名度があり、大阪を代表する遊園地となったひらパーだが、絶大な人気を集める大型テーマパークと比べると決定的に不利な要因を抱えている。
- それだけで集客に繋がるような独特な世界観、人気キャラクターを持たない。
- 大型テーマパークのように大規模な投資によってアトラクションを新設し続ける集客戦略を打てない。
- 枚方周辺には目立った観光地がなく、都心からも距離があるため観光客を呼び込むことが難しい。
このような状況のなか、ほんの数年前まで毎年1億円前後の赤字を何年も続けている閉園寸前の遊園地でしかなかったのだ。そんなひらパーが、大型テーマパークにおされつつも、生き残りをかけて繰り出した個性あふれる集客戦略をご紹介しよう。
生き残りをかけた集客戦略
1世紀続く定番遊園地ゆえ
夏のファミリープール、冬のスケートリンク、秋は創業以来続いていた菊人形は、枚方市周辺のじもピーにとっては昔からの定番だ。2005年に惜しくも終了してしまった菊人形に代わって、新たにイルミネーションイベントが開催されている。
実は、この定番イベントをコンスタントに続けることが、じもピーを再来園させるきっかけとなっている。
例えば、鬱々とした気分で揺られる通勤の電車内で、ひらパーのプール「ザ・ブーン」の広告を目にした40代サラリーマン。
父母と行った小学生の夏休みがフラッシュバックのように思い出される。
家は決して裕福ではなかったから、避暑地の海辺ではない。たかだか地元、芋の子洗いのようなにぎわいをみせる普通のプールだ。でも、自分にとっては最高の夏休みの思い出だった。弟と大はしゃぎしながら、真っ赤に染められたソーダを一気に飲み干した。
「今度の休みには子供を連れていくか」
と、週末の休みに「いい父親」になるきっかけになるのだ。中学の頃友人たちと行ったアイススケートも、まったく興味がわかなかった菊人形でさえ、じもピーをふとしたきっかけで駆り立て、安定した集客につなげられるのだ。
大阪のベッドタウンである枚方に、1世紀以上にわたって密着しつづけた遊園地だからこそできる集客戦略で、4世代を超えるじもピーたちの継続的な来園を促し、安定した集客力を保つ理由だ。
大阪人の習性を活かしたシュール広告
おもしろいコトを人に話すのが義務。ボケた相手には、突っ込まないと失礼にあたる。
そんな習性を持つ大阪人は、ひらパーの広告ポスターを見るとウズウズしてしまう。なぜなら、ひらパーが発信する「ボケ」が、見事に「投げっぱなし」になっているからだ。
たとえば、ひらパーのキャラクタ―「ピピン」が膝を抱えて座っている写真に、「ファンクラブとかできないかなぁ。」と大きな文字が載せられているポスター。
「そんな弱気なキャラクター、あかんやろ」
「もっと自信持たんと」
などと、頭のなかで思わずツッコんでしまう。いつからか、ひらパーの広告はこのようなシュールなものになり、どんどんこの傾向は加速している。
来園のきっかけを与えることや、イベントの告知をすることが本来の目的ではあるが、このように大阪人のツッコミ精神をくすぐりまくる。
「ひらパーの広告は面白い」と認識してもらえれば、注目度が高まり、口コミ効果も得られる。さらにひらパーの好感度も上がっていくというわけだ。
V6まで引きずり出した、ひらパー兄さん戦略
ひらパーを現在の人気・知名度まで押し上げたのは、「ひらパー兄さん」を据えたことにある。
ブラックマヨネーズの小杉が起用された、初代ひらパー兄さんは、引退までの約4年間で約30億円の広告効果をもたらしたと言われている。
有名人をひらパーのイメージキャラクターとして起用し、広告を打ち出すことでひらパーの知名度は急上昇。前述のシュールな広告との相乗効果で、ひらパー兄さんの人気も高まっていった。
勢いのあるブラマヨを起用したことで、広告という枠を超えて話題になった仕掛けがある。
小杉の人気に嫉妬した相方の吉田が、フジテレビの”人志松本の○○な話”で「俺の方がひらパー兄さんにふさわしい」と宣言。2代目ひらパー兄さん就任をかけた選挙イベントが行われるまでに至ったのだ。地上波のテレビ番組で騒ぎ立てたうえ、大阪の天満橋で2人が街頭演説を行うなど、パークの外部を巻き込んだこの騒動は、ひらパーで面白いことをやっていると全国に知らしめることとなった。
100周年をきっかけに初代ひらパー兄さんの小杉が引退したあと、枚方市出身のV6・岡田准一が「超ひらパー兄さん」として2代目に就任。岡田くんが主演する映画のパロディなど、こちらも話題性に富んだ広告を打ち出している。
全ての広告がひらパー兄さんを中心に構成され、ひらパー兄さんに接触する機会が増える。いつのまにか、皆がひらパー兄さんを身近な存在に感じ始め、そのストーリーに注目し、応援したくなる。ひらパーはその舞台となることで、大きな付加価値を得、さらなる集客力を得たのだ。
思い出は、人がつくる
どんなに革新的なアトラクションを体験したところで、楽しさを共有する相手がいなければ、たのしい思い出にはならない。
アトラクションやイベントはあくまでも舞台であり、家族や友達など、一緒にいる人がお互いを楽しませることこそが、たのしい思い出になる条件だ。
キャラクターや世界観、アトラクションの魅力だけで集客することができないひらパーだからこそ、来園やリピートのきっかけが「人」であることの大切さをわかっている。
ひらパー兄さんの広告は、「話題のアトラクションを体験したい」といった、楽しませて欲しいというニーズに応えることとは異なり、兄さんを応援したい、兄さんのところに遊びに行きたいという思いが、お客さんを来園させるというもので、これもアトラクションではなく、兄さんがお客さんを楽しませるという仕掛けだ。
ひらパーには「ジャイアントドロップメテオ」という垂直落下アトラクションがある。これといって目新しいことはない絶叫系アトラクションだが、岡田くんの目がプリントされた「兄さんアイマスク」で目隠しをして乗る「目隠しライド」や、「おま」以外の叫び声が禁止になる「おまライド」といった企画によって、友だち同士、スタッフまで巻き込み、みんなが思わず笑ってしまうアトラクションとなった。
友人たち、家族が「目隠しライド」や「おまライド」を共有し、いつまでも笑い合う。心に刻まれたその豊かな経験が、いつの日かまた懐かしい思い出をフラッシュバックさせた「じもピー」を懐かしい場所へ駆り立てるのだ。
まとめ
「ないものづくし」のひらパーが、1億円の定例赤字から脱却した突き抜けたアイデア。これは、遊園地が装置産業であるという固定観念へのアンチテーゼなのかもしれない。きらびやかな装飾や固有のアトラクションに頼らず集客に成功していることが証明している。
1世紀以上にわたり、大阪府のベッドタウン枚方に根付いた遊園地だからこそ、最後は「人」が大切なのだと教えてくれている気がしている。「人」が「人」を楽しませるのだ、「人」を連れてくるのは「人」でしかないと言っているような気がしている。